敬老館の極み
- きっかけはいつも何気ない所から始まるものですが、たまたま開いたタンスの中から、古い写真が出てきたとの事で、利用者がその写真を持って来て下さいましたので、さっそく当館「いにしえの写真館」の展示にご協力をお願いしました。
「若いね、何歳くらいの写真なの?」とか、「いつ頃撮ったの?」とか、他愛のない話をしていると、昭和30年頃、20歳過ぎた頃なのかな?みたいな話で、その割にはかなり画質は良いなという印象でした。
「手を添えている子たちは誰?、娘さんってこんなにいたっけ?」と聞くと、「ううん、近所の子どもたち」との事で、「みんな可愛いね、この子たちは今頃みんなどうしてるんだろうね?」と何気なく聞くと、この利用者さんがびっくりした表情で、「何言ってんの!来てるわよ!」と声を張り上げました。
「来てるってどこに?」と聞くと更に驚いた声で、「どこって、ここよここ、敬老館!」
ええええええええええええええええええええ!!!
って驚いたのはこっちです。「だって子どもじゃん!」「何言ってるの!何十年経ってると思ってるの!」というやり取りがあって、私も何とか平常心を取り戻し、”そりゃ、そうだよね” と自分を納得させました。”しかし、この子たちも敬老館使ってるって”って唸ってたら、すぐにご本人連れて来ちゃいました。”うーん、面影ありあり” 間違いありません。真にくりびつてんぎょうとはこの事です。
「私の混乱の元はこの写真の画質の良さにあるんです」と言ったら、この娘さんのお父さんはカメラが趣味で、それでこれだけ美しい写真が撮れたとの事。実はこれ、実物写真をかなり拡大しているのです。それでこの質感、ハンパないです。
娘さんに「この後ろのお方は、やさしい近所の女の人って感じだったんですか?」と聞くと、「いつも道を歩いてるとやさしく声をかけてくれて、遊んでくれたり、面倒を見てくれたお姉さん」との事で、 ”いや、今とおんなじじゃん” と笑うしかありませんでした。
かつて、4っつ目の次元は”時間”と聞いて、全く理解が出来なかったものですが、この時初めて私はその4番目に触れた気がしました。時間と切り離された所で、空間は至る所に存在していて、この時間の軽やかさは行儀が良くありません。あまりに軽やかすぎて、私も何だか分からなくなったりします。
敬老館というところは暦と関係なく、不変の空間があると思うことがあります。いつまでも、ここの利用者はずっと変わらぬ日々を過ごしていける。
そんな予感と、真夏の夜の夢のような、ふわふわとした感覚に包まれた、不思議な瞬間になりました。